現在の位置 : ホーム > 事務所コラム > 吉川 正也 > 中央道高速バス
中央道高速バス
2024.06.28
吉川 正也
一 名古屋から長野県飯田市まで、中央道高速バスに乗車する機会がありました。飯田市で事業をしていたおじが亡くなって、その葬儀に参列するためでした。
千歳から空路で中部国際空港まで移動し、空港から名鉄特急に乗り換えて名古屋駅に向かいます。
名古屋駅からは、すぐ接続をしているバスセンターから、高速バスに乗車します。あとは、飯田駅前まで、ひと息です。
二 中央道は、近くの人々の暮らしを大きく変えました。
飯田地方は、地理的には名古屋が近いのですが、JRで名古屋に出るには、山あいの急な斜面を走るため、列車のスピードが出せず、時間がかかります。
しかし、中央道では、恵那山トンネルという当時日本で一番長いトンネルが出来たことで、飯田地方と名古屋が二時間で結ばれることになりました。
それまで、飯田からは、東京の方に出向くことの方が多かったところ、この中央道の完成によって、飯田は名古屋により接近したということができます。
三 私が乗った高速バスは、飯田に向かう人達で、ほぼ満席です。
バスは、小牧インターからスピードを上げて、中央道を進みます。
やがて、恵那山トンネルが見えるところまで近づきます。丁度、満月がこれから登りはじめるところで、山にかかっています。
それでも、まだ6月の夕刻で、日暮れにはなっていません。
それから、長いトンネルに入りました。
恵那山トンネルです。
四 バスがトンネンルを抜けて、長野県内に入ったころ、日は暮れて、空は、暗くなっていました。それでも、飯田地方に入ると、高い山々の山の頂が見えていました。
この中央道高速バスに乗るようになって、何回も、このトンネルを通過しました。札幌と飯田の距離も、このトンネルによって、極めて近くなったのです。
Copyright ® Yoshikawa Masaya Law office. All Rights Reserved.