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事務所コラム

平凡は、平凡にあらず

2018.11.02

吉川 正也

信州飯田を、この秋、訪問することができた。

飯田市にある風越山は、いつも、同じ山容で、迎えてくれる。

この山は、見る方向によって、山容が全く異なるが、上郷町の飯沼にある実家から眺める形が最も美しいと思う。

丁度、富士山のようにきれいに見える。

一方、眼を転じると、伊那山脈の山々が連なっている様子が見える。

山には、雲がたなびいている。

空は青く、広い。そして、近くを見れば、黄金色に染まった稲穂が、もう収穫を待つばかりに光り輝いている。

 

そんな飯田に帰省した際、「あたりまえのように過ごしている日常が、あたりまえのようであることに、大きな意味がある」との話しを聞いた。

実家で、昔、祖母が急に体調を悪くし、旅行を計画していた母が、旅行に行けなかった。そのとき、当時の中学校校長が、この話を聞いて、健康であるということは、平凡なことだが、この平凡な日常は、単に平凡ではないのだと、話をされたということであった。

 

この話しを聞いて、私は、徳島県立池田高校の野球部の監督だった、蔦監督が、述べていた「平凡の非凡」という話しを思い出にした。

野球は、毎日、毎日、同じような運動を繰り返し、練習をする。

毎日はとても平凡に見える。しかし、この毎日のくり返しの練習を、積み重ねることで、平凡なことから、甲子園での全国優勝のような、非凡なことができる。これが、平凡の非凡であるということだった。

 

日常の小さなことを、大事にする。健康であるというあたり前のような平凡なこと、それを、つねに健康でいる。また、いきなり大きなことをするのではなく、目標に向かって、小さなことを積み重ねる。

飯田で、改めて聞いた、平凡は、平凡にあらずということを、これからも、大切にしたいと思う。

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